シューフィッターこまつ@毎日靴ブログ

東京某所で靴修理やってました。イギリスのノーサンプトンで靴のあれやこれやを学んで、20代の頃10年間靴の設計の世界にいました。30代からリペアの世界へ。靴フェチではありませんが、革靴からスニーカーまで、高いのから安いのまで、めったやたらと毎日書いていきます。修理は9月で退職。現在「全国どこでもシューフィッター」として活動中。HPはこちらhttps://sf-komatsu.com/

152 靴の設計はマジでやめとけ。たぶん今でも変わらん。

(推敲して確信しましたが

今日のブログは自分用になっちゃったんで

読まんでください。こんな日もあります。)

こんにちは。

靴修理人 兼 シューフィッタ― 兼 靴マニアのコマツです。

今日は靴業界の影を書きますので、

マイナスな文章が苦手な方は読まないでください。

鬱の方は特にダメです。

では書きます。

今40代ですが、

22歳から、29歳まで

国内の革靴の設計やってました。

たった7年だったかー。

体感的には200年くらいに感じましたけどね。

「靴の設計」っていうのはざっくりいうと

デザイナーから絵をもらって、

どんな革つかって、どんな木型つかって、

どんな製法で靴をつくって、

コストいくら、みたいなところまで

煮詰めていくところです。

あ、一応ちゃんとエクセルとかは使ってましたよ。

自分用に。

しかし・・相手はパソコンなんか使えませんから、

具体的にいえば、仕事としては

打ち合わせのあと

木型に線を引いて、型紙つくって、

革を手で裁断して、サンプルをつくって

「できるものはできる」

「できないものはできない」

「こうしたらできる」

っていう感じでしたね。

一日のルーティンが

メーカー・革屋・製甲屋・材料屋・

ソール屋を車でめぐります。

17時くらいに本社にもどって、

職人さんたちが帰るのを見届けてから

ひとりきりになって型紙を裁ちます。

3メーカーくらいのモデルを

1年通してつねに

同時進行しており、マンガの締め切りと

同じ感覚だったはずです。

コロナ中の今と比較できませんが、

精神を病む仕事でした。

ずーーーーっと

手元にマストなサンプルが10個くらい

あるんです。

ここでこけると、職人さんの仕事が全部なくなるので

給料はサラリーマンの数倍もらっていいはずなんですが、

情報弱者だったので、いいように使われてました。

0時か1時くらいにセコムして、帰ります。

朝は7時には勤務先の工場に出勤して

夜はエンドレス。

正月休み・夏休み・ボーナス

一度ももらったことがありません。

休みの日に休んでる気がまったくしません。

書いていてゲロが出ますが

7年間でマックスの給料が

手取りで19万。

でも。

かわりにプライスレスで得たのは

「いい革のみわけかた」

「浅草の革屋のウソのつきかた」

「価格交渉のしかた」

「靴の壊れ方・寿命の加減」

「靴の断面図」

「どこで手を抜くか」

逆に

「採算度外視して、ここにカネをかけるか」

そして

「自分の体力と

精神がリアルタイムでどうこわれていくか」

でした。

今、40代になって

すげえ運のいいことに

そのころの「負」の遺産が

「正」になって生きています。

修理の立場にうってかわると

工場・革屋・生産地・製法が

全部わかります。

木型もすぐ把握できます。

いい修理、できてるはずです。

だから焦るんです。

またあの頃と同じミスを繰り返してるんじゃないかと。

たぶん、というか間違いなく

ミスってます。

でも、たぶん成長してなのか

ブログ書いたり、ユーチューブ撮ったりしてるんです。

カネは入ってきてませんが、

次のアクションを起こす、

今、停滞してないって認識できるだけ

絶対成長できてます。

休みの日、休めてます。

料理も家事もできるようになりました。

今日もタンメンをつくれました。

ヤバい時にはきちんと精神科に通えるようになりました。

ブログ書いててよかったー。

客観視できますからね。

もし万が一、今靴学校に通ってたり

靴の企画・設計で休みのない人がいたら、

ちょっと立ち止まってください。

3年以上はムダです。

私みたいに、佐川急便にいったん転職しましょう。

そして1年でやめましょう。

佐川もブラックかもですが、

世界がかわって意外と冷静になれます。

絶対、次の道みえます。

毒を吐きますが、コロナの影響で

浅草に仕事がないのも

いうなれば自業自得です。

それではまた明日!