こんにちは。
靴修理人 兼 シューフィッタ― 兼 靴マニアのコマツです。
北京五輪が2008年だから、
この話は2007年のことです。
私は1か月中国にいました。
場所はちょっと言えませんが、
知ってる人は知ってる
「中国の浅草」といわれてる、あの町です。
日本の某メーカー・〇ドラスの依頼で
〇ルバン・クラインと
〇ラサルディ の
サンプルつくりと、生産ラインの
突貫工事の仕事でした。
納期がめちゃくちゃ圧迫されてたのと、
日中で致命的なコミュニケーションミスが
連発したのが理由です。
ま、仕事自体はめちゃくちゃうまくいって、
数か月後に都内のデパートでその製品を
みたときには、
「孫に会うってこんな感じ?」と
うるっときました・・。
そんなことはどうでもいいんです。
なんせ切迫した仕事できたので、
1か月間どこにも行けませんでした。
工場敷地外へ出た許可は2回だけ。
共産主義だからじゃなくて、
純粋にマジで仕事が切羽詰まってたんです。
その2回のインパクトがすごかった。
それは明日書きます。
今日は工場内での話。
10数年前ですから、今はずいぶん
変化してるとは思いますが、事実を
書いていきます。
基本ひとつの部屋に軟禁されて、
黙々と型紙を切って、職人さんにその場で
サンプルをつくってもらってたんですが、
話が早いことに、現場の声がダイレクトに
聞こえて、こっちもダイレクトに伝えれるんです。
たとえば
「つりこみしろがこんなに辛くちゃ
つりこめねーよ」とか、
「この革だと裂けるよ」
とか、
「糸の番手(太さ)はこれでホントに
合ってるの?」とか、
意外と真面目で健全な会話で
「おおっ・・」と思いました。
もっとだらけてるイメージがあったんですよ。
あとから分かったのが、
9割くらいが地方からの出稼ぎだったんです。
ミスれば容赦なく賃金が減る。
ミスらなければ大金が手に入る。
監視役もわかってるので、意外と
プロフェッショナルに監視してました。
私は意地が悪いので、
「でも、ワイロとかあるっしょ?」と聞いたら、
「・・そんなカネすらないから、ここで働いてるんだよ。
脱走しようにも行き場がないし、
ヘイハイズ(黒孩子)←ググってください
ばっかりだから、中にいる方がよっぽど
安全なんだよ。」
と、タバコをふかしながらいい顔で答えてくれました。
工場長の「イン」さん。36歳って言ってました。
彼には・・・渡しておいたんですよ。
日本が誇る「デラ・べっぴん」をね・・。
反応はみなさんの想像におまかせします。
あ、ちなみに当時は「エロ本の所持=死刑」
だったみたいですね。
知らなかったからまあいいや。
とにかく、インさんはほんとは私をしっかり
監視しなくちゃいけなかったんですが、
エロ本効果で、たまに見て見ぬふりを
してくれました。
たとえばトイレ。
でかい工場なのに、なぜか
「トイレに行くときは、客人専用のトイレを
使ってもらわなければならないので、
必ず声かけてください」と言われてたんです。
客人用のトイレとは・・
ハリボテの大理石にかこまれた、
洋式のフツーのトイレです。
紙の質がいい。
なぜかバーとかカギが金色。
でも遠いんですよ。
工場の中でうんこしたくなったんで、
インさんに言いました。
「客人用のトイレは遠いから・・
工員用のトイレがあそこにあるかも、
私はしらんけど」
と目を合わさずに言ってくれました。
なんか漢字で書いてあって(便所とか厠ではなかった)、
まわりの労働者に止められましたが、「インさんが~」というと
すごい怪訝な目で通してくれました。
まず、どうみても男女の区別がない。
ドアはあるけどカギはない。
いわゆる和式の、金隠しがないトラディショナルスタイル。
くっっっっっさい。
床が・・(以下略)
まあまあゲリピーだったんで、うんこしましたよ。
ちゃんと便器の中にね。
紙がない。
バックパッカーが長かったんで、
あわてもせず「ここも桶の水で洗うタイプか・・」
いわゆるインド・ムスリムスタイルだと
思ったんです。
しかし・・・
桶も水もない。
困った。
で、オチとしてはつまらんのですが、
ポケットティッシュ持ってたんですよ。
でも、水洗式でもないから、
ま、そのまま便器内に捨てるしかありません。
手を洗う場所も当然ありません。
ことを終えて、ずっと「???」と思いながら
その日の仕事は終わりました。
工場に寮があって、2Fが客人用でした。
まあ、ごはん食べ終わってインさんに聞きますよね。
「あのトイレ・・みんなどうやって拭いてるの?」
と。
インさんは半分笑いながら
「拭かないよ」
え?
どういうこと?
「中国人は繊維質をたくさん採るから、
うんこのキレはいいんだ。
だからいちいち拭かない」
はーーーーーーーーー。
最初のカルチャーショックでしたね。
明日につづきます。